今日が投票日。
泣いても笑ってもということですね。
ということで、
このまま放っておけないと思い立って、
この1か月間、いつになく真面目なことを書いてきましたが、今回、つくづく感じたのは野党の大変さである。もう詰んでいる将棋を延々と指し続けなければならないというのは、なかなか地獄でしかありません。さながら神の怒りをかったシーシュポスのような心持ちにもなりました。
それで、一番反響があったのは、松井市長が大阪市議会で「二重行政はない」と発言した模様をピンポイントで紹介したこの回でしょうか。これが、1票でも反対票につながったのなら、この1か月の甲斐はあったと思っています。
つまり、このブログにはいちいち書きませんでしたが、自分は「いわゆる都構想」を勉強をするために、ずっと議会や説明会、記者会見などのさまざまな動画の文字起こしをしていたのですね。あくまで個人的に、自分自身の認識を深めるために。で、とにかく、その間、マスコミ側の追及不足にはイライラさせられっぱなしでした。
「なんのための質問!!」
「そこを突っ込んで聞かんと!!」
「再確認はするな!!」
と思う場面が何度もありました。おそらく「中立性の呪縛」に陥っているのでしょうね。もしかしたら、報道は権力側と対峙すべきものだという基本認識が、もはや常識として引き継がれていないのかもしれません。まあ、自分は記者には向いていなくて、早々に地方新聞社をドロップアウトしたので偉そうなことはいえませんが、でも、総じて、関西マスコミはこの件に関しては、いかに「肉屋をかばう豚を育てるか」ということに終始していたように思われます。もちろん終盤の毎日新聞のような例外はありますが、全体として、維新というか松井氏と吉村氏の「ウソ」に対する寛容さは目に余るものでした。でも、「いわゆる都構想」は企業のための制度改革なのだから、マスコミにとってはお客さん(広告主)が増える方を応援するのは当然の理屈でもあります。
いわゆる都構想の理屈って、じゃりン子チエでいえば「テツに財布渡しといたら万事うまくいくねん」っていっているのと同じだと思います。テツが喜ぶだけです。#大阪市廃止に反対#都構想反対#大阪市廃止にNO #都構想にもう一度NO
— 大阪千里司法書士事務所 (@ossenrioffice) October 16, 2020
と書いてから、「あ〜、なるほどそういうことか」と気づいたのですが、結局、そうなのです。大阪府に財源を渡すということは、テツに財布を渡すということなのです(あるいはレイモンド飛田に大阪府の政治行政を任せるということです)。大阪の人にはそうやって説明すると一番わかりやすいんじゃないのでしょうかね。このツイッターを書いてから「じゃりン子チエ」を読み返したのですが、70年代にはチエちゃんやコケザルみたいなたくましい子どもに、まだリアリティーがあったのでしょうが、この00年代に、その子を主人公にしたユーモアのある漫画がどうやって描かれるのか、上手くイメージできませんでした。まあ、ちゃんとした大人もいなくなったので、子どもばかりのハナシではないですが。ちなみに、チエちゃんは自分と同い年の設定なので、じゃりんこチエの時代背景はまったく自分の育った時代であります。
さてさて、このブログを展開するにあたって、自分と同じ立場、つまり「反対派」の主張に対しても、自分としては距離感を感じるところもあって、正直、「伝統のある大阪市うんぬん」という昭和100年の世界観にはまったく興味を持てませんでした(申し訳ないけど、そういうウェットな性格ではないのです)。逆にいえば、維新のいう「大きな自治体・道州制うんぬん」という主張も、つまるところ江戸400年の幕藩体制的な世界観でしかなく、西暦2020年代を生き抜く対処法としては、自分には説得力を持つものではなかったということです。
だって、仮に、維新の政策がうまくいったとして、格差は広がる一方で、多くの人は低所得労働に甘んじることになり、結果、少子化は悪化の一途を歩むということなるのは歴然としているからね。そうすれば治安は悪くなり、今回のようなパンデミックが来た場合も今よりもずっとヘビーな状況に陥ることになると考えるのが理屈だし。そうなれば、持つ者は「壁」を築いて己の安全を守ろうとするのでしょうが、自分はそんな窮屈な社会は御免だということです。なので、まずは欲張りの欲に蓋をして、貧しさの底に下駄をはかせるために税制と社会保障をアップデートしてからでないと賛成できる仕組みにはなっていないというのが、この件に関する自分なりの結論です。
これは、一見、労働者にとって朗報とも呼べる判決にもみえますが、おそらく、菅政権、維新の会の主張と、無関係な判決ではないでしょう。長くなるので、要点だけを言いますが、結局、この判決により、さらに派遣による労働者の割合が加速することになるのだと思います。結局、労働法やなにやらを現代・未来を見据えた改正するなど、変わっていく時代合わせて、普通の市井の人たちがちゃんと暮らしていけるような環境を整備することの方がよっぽど重要なのではないかと思います。いずれにせよ、産業構造が変わったのは事実であり、もうもとには戻らないのですから、「なんだってこれまでどおりがいい」というわけにはいきませんよね。
ということで、
結論としては「反対」ということで変わりません。
理由は「悪くなることはあっても良くなることはない」からです。
以上、吉報を待つ!
tanoque.hatenadiary.jp
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